自分を大切にして、生きてみる

いまから、ここから、やってみる。日々の記録。

久しぶりの更新になってしまいました(^_^;)

こんにちは。

カオリです。


久しぶりの更新になってしまいました(^_^;)


実は、このブログを書き始めた頃はわたし、ノートに気持ちを書くということをしていなくて、コースも終わりに近づいた頃に真穂さんの気持ちの書き出し方についての音声を聞いて「そうだったのかっ」とノートにまず書くようになりまして。


ブログほぼ毎日書いていたときは、日々の中でなんとか合間見つけて更新してしてましたが、ノートにまず書くようになると、そしてさきこさんのnotebookセミナー受けてからより一層、小さなことでもノートに書くようにしていると、その上でブログ、というところまではなかなか行けずにおります。。。



で、日々、気持ちを書いていると、そうそう調子のいい日ばかりではありません。


調子よくなくても、以前みたいに人や環境のせいにしたりできず、自分責めに逃げることもできないですしね(^_^;)


あー、いつもわたしはこうやって、ここで人のせいにして、そんで、仕方ない、ってことにしてたんだな。

それって、ほんとに自分にとって都合のいいことだったんだなー、ってつくづく思う。


いまも、ここのとこ寝不足が続いてるせいか、せっかくの休みなんだけど心身どんよりなんですが、そうやって心を去来する言い訳たちを、野原に寝転んで雲を眺めるように見てます。

そうやってると、「あー寝不足でできないってのも、都合のいいことでもあるね」とか気づいたり笑


で、なんだかぐたーっとしてるんですが、ぐたーっとしてるとなんだか「はー、わたし変わってない。まだこんなこと繰り返してるよ。。。」ってことにばっかり目が行ってただけど、それでも、この半年(そうか、真穂さんの初セッションから半年経ったんだな)で、ぜんっぜん変わったなと思うことも同時に浮かんで来ました。



●そもそも、ここで、変わってないことを人のせいにしてない


自分の中の相変わらずなこと(勝手に優越感とか劣等感とか人のせいとか)日々山ほど目にするけど、それを自分が選択してるってことはだいぶ自覚できるようにはなりました。



●子どもが「幸せだね〜」って言うようになった


子どもたちが時々、「幸せだね〜」って言うことがあって、それ最初に聞いた時、3か月くらい前かな?記事にしそびれたけど、すごくドキッとしました。

絵本たくさん読んでるから、うちの子たちボキャブラリーは豊富なほうで、それまでも「幸せ」って言葉は知ってたと思います。

昔話の最後ってよく、「そうして幸せに暮らしましたとさ」で終わってるし。


でも今まで子どもたちの口から、自分の気持ちとして出てきたことがなかったのは、わたしの中に、「幸せ」って単語がなかったんだと思う。

真穂さんのコース受講前は、「わたしって幸せになりたいって思ってるのかな?」「そもそも誰もが幸せになりたい、って、ほんとなの?」って思ってたし。

だから、「幸せ〜」とか、心から言ったことなかったんじゃないかな、わたし。


いまは、「幸せになりたい」ってことは迷いない。

何が幸せなのか?は、まだはっきりしてないけど。



●元だんなとの関係


これはものすごく変わりました。

ほんと、「してやってる」「してくれて当たり前」がなくなったから、まったくもって心穏やかで感謝ばかりです。


離婚後、腹が立つことがあっても、「だから離婚したんだからしょうがない。ここで腹立てるのやめよう」って思うようにして、それで結婚してる時よりは表面上火花が散ることはなくなってたけど、心の距離は離れる一方で、来てくれた日に子どもと4人でいる時は楽しくいられるけど、なんだか、知らないところが増えてく人とこうやって一緒にいるのって気持ち悪いことなのかなと思ったり、元だんなのふとした言動が心の奥のたまった気持ちとトラウマに触れて大泣きしたり激怒したりしてしまうことが数ヶ月に一回くらい続いてました。


それが全然なくなった。


この前、なんでかわからないけど、急に以前の、結婚してるけどまだ子どもがいない頃のこと思い出して。

そしたら、その中の自分が、ひどすぎる。

勝手に負けてることが基本多かったんだけど、自分が調子に乗れるネタがある時期には、ここぞと勝手に勝ってマウンティング。

あと放置したりバカにしてたり。

ほんとひどい、イヤな女すぎで、ガーーーーーン。


で、でもそれって、その時だけじゃない、わたしって、いつの頃からかずっとそうだった。


そんなんなのに、それでも、わたしと長くつきあって結婚もして一緒にいてくれたなんて!

なんていう器の大きさ。


離婚に至るまで、たくさん話をしたけど、残念ながらわたしは、いくら問い詰められても、自分を見るってことがあまりにわからなすぎて、自力では無理、激怒しただんなに脅されたらますます怖くて被害者になっていってしまいました。


もしあの頃、真穂さんやさきこさんが教えてくださったようなことを知っていたら、今とは違う結果(離婚せずにいられた)のかな、って考えてもみたけど、どうかなあ。

うーん、たぶん無理だろうな。

わたしは、ここまで来てやっと、つまり、離婚前後やその後の辛さで、もうこのまま行くのは限界!ってなって、やっと、わたしにとって本質的だからこそ聞き入れるのきつい、受け止めがたい言葉を聞く気になれたわけで。

(それで真穂さんに助けを求めて、それですら、受講後数日で中途終了言い渡されるほどの重症にならないと、聞く気の片鱗もなかったわけで。)

無理だったろうな。


結婚したままでは無理だったけど、離婚して、毎日一緒にいる、とか、レスの問題を切り離してハードルを下げて、この関係性から学ぶという状況を神さまが用意してくれたのかも。


今日、ふと思ったのだけど、わたし、自分が何が好きなのかわからないことが多かったけど、その中で、「この大学に行く!」ってことと「この人と結婚する!」てことの2つは、迷いの余地がまったくなくて、決まってるとしか思えない感じだったんですよね。


親に無理言って浪人してその大学に入って元だんなと会ったわけだし、やっぱり、離婚はしたけど、元だんなは、この人との関係性をよきものにし続けることが大事な人なんだと思う。

たぶんそれは、お互い別なパートナーいるいない関係なく。

「子はかすがい」って、ふーんって思ってたけど、今の私たちにとってはまさにそうだな。

子どもがいるから今もつながってて、こう思うんだもんな。



長くなりました。



以前、ブログのサブタイトルの中に「40代でも変われる!」って入れてたんですが、数ヶ月前しっくりこないからひっそりと外したんですよね。


40代ではやっぱり変われないと思ったとかでは全然ないです。


こうして自分の気持ち見ていると、いかにずーっと自分がこれを繰り返してきたのかがわかって、で、さっきも書いたけど、じゃあ20代とか30代で気づけば変わりやすかったのかというとそうでは全然なくて、どこで、本気で変わろうと思うかでしかないと思う。

若いと、可能性が無限に広がっているという幻を見やすくて、年齢が行ってくると、可能性がないという幻を見やすい。

で、どっちにしても、それを自分が都合のいいように利用してるというだけのことだなと思います。


わたしは本気で変わろうと思ってるのか?自体疑問に思ったり、何を本当に望んでるのか?まだまだわからなくて見ていってる途中ですが、それでも以前よりは、自分の人生ってものに、近づけている気はしています。