自分を大切にして、生きてみる

いまから、ここから、やってみる。日々の記録。

1か月続いた超モヤモヤから出ました

こんにちは。

カオリです。

 

3日ほど前に、うまく言えないのですが、自分の中で大きくなにかの角度というか深度が変わりました。

ステージアップ!とか一皮むけた、というのとちょっと違ってて、うーん、前の自分とねじれの位置になったというか記憶喪失になったみたいというか、でも、新生!とか勢いづくのともちょっと違う感じ。

 

この1か月、ものっすごいモヤモヤしていました。

モヤモヤで胸の中がいっぱいで、「これが原因なんだろうな」ってことは見当がついていたから、ノートに書いてみるんだけど、あまり進まなかったり、いったんは「これでいこう」という方向性を見出してもまたすぐにモヤってきて。

苦しかったです。

体もすごく重くてだるくて、強烈な眠気が急に襲ってきたり、やたら刺激の強いものを食べたり飲んだりしたくなったり、「大丈夫?!」って感じでした。

「ああ、これじゃあ進めない」って焦るんだけどだめで、部屋の片づけとか全然する気にならないから洗濯物の山も記録的に^^;

でも、とにかく一行でも気持ちを書くことは続けて、「どうしたらいいんだろう」っていつも問うていました。

 

そしたら、先週前半にモヤモヤが最高潮に高まったあと、パーンとはじけて、出てきました。

心の奥にあったものが。

 

わたしが「原因」って思っていたこと、ちょっとずれがあるふたつのことの間での葛藤みたいなものだったのですが、モヤモヤは、直接それが原因ではなくて、もっと奥にあったのでした。

そして、原因だと思っていた葛藤は、それ(奥にあったもの)を表面化させるための役者として現れてきたんだってことがわかった。

もっと言うなら、わたし自身が、その奥にあるものを表面化させたい、認めたい、って願ったから、その葛藤を生じさせたんだってわかった。

ってことは、その葛藤が生じたのは、ほかの人の書いたものを読んだことに始まるのだけれど、それって、わたしが引き寄せたんだな。

そう書くと偉そうというかなんというかなんだけど、完璧っていうことが、なんかちょっと体感できた気がする。

相互作用とはプラマイとか、そういうのじゃなくて、全部プラスになるようにつながってるんだなと。

 

って、ちょっと具体的にブログでは書きにくい内容なのでとってもわかりにくいですよね。

すみません^^;

 

 

で、心の奥から出てきたことについて。

 

モヤモヤ最高潮クライマックスの中で、真穂さんの音声(前回の、「足元」の回)もう一回聞きたくなって聞いて、さらにバックナンバーも聞いたりしてそのあとノートに気持ち書いていて、

 

「どうだったら幸せか?」

って自分に聞いて、そして出てきた言葉が、

 

「心の中があたたかい、って状態でいられたら」。

 

なんか、こう打ってしまうとこれっきりなんですが、「って状態」ってあたりまで書いたらもう、書き続けることができないくらい、心の中ででっかい崖崩れが起きたみたいにぐしゃぐしゃっと何かが崩れて、涙がどわーって出てきました。

 

寒い、心細い・・・って言葉も出てきた。

 

直後、

「心があたたかい状態」って、

え?!まさか、わたしの望みがこんなことだけなんて!

そんなつまらない、ちっぽけなことでいいの?

 

っていう、驚きと非難、「ひえーっ!あり得ない!」とか、「ブーブー!(ブーイング)」とか、もう心の中で大合唱がすごい。

 

わたし、自分はイケイケどんどんな(?)ほうというか、ダイナミックとかオリジナリティあるとか、センスが冴えてるとか、人と違った切り口とか、そういうのが自分らしさだと思っていたんです。

小学校のころから、大きくなってからなりたいもの「大物」とか「有名人」とか書いていたし。

 

なので、継続コース卒業するときでも、「一旗あげたい」っていうような気持ちはあったんですよね。

 

 

で、心の中でのブーイングや悲鳴は鳴り響いていて、もう未練がすごいんだけど、「ああ、これはもう、変わらないんだな」ってことが自分でわかった。

過去との決別って言葉が浮かんだ。

 

 

心ってすごいですね。

 

わたしが意識している部分での「原因」と思っていたところの底で、実は、この本音とブーイングがせめぎあっていたんだなあ。

 

長年組み伏せられてたのに、よくがんばって出てきてくれたな。

 

そりゃあ、体もだるくなるし、眠気も来るわ、って納得しました。

 

 

そして、決めました。

わたしは、「心があたたかい状態」を選択して生きると。

 

 

なんかわたし、あったかくなっちゃったら、つまんないとこに安住しちゃうと思ってたと思う。

常にハングリーな状態に自分をおいて、ガッツーンとやったりたい!みたいな。

「小さな幸せ♡」みたいなの、蹴散らしたかったんです。

レディースセットとか嫌いで、かつ丼大盛り!みたいな。

自分のこと間欠泉みたいだなって思っていて、ためてためて、大きく噴き出すぜ!みたいな。

安定、安心、そんなつまんないもんクソくらえ!オラオラー!ってな勢いです(汗)

 

 

継続コース受けて、いろいろ変化してはいたものの、その根っこは大きく変わってなかったんだと思う。

そういう自分が好きだったし。

(それで卒業したのか、おい、と突っ込みたくなりますが^^;)

 

実は、この「心があったかい状態」っていうのは、初めてその状態を見せてくれたのが、お腹の中にいるときの二人目の子なんです。

 

二人目の子がお腹にいるとき、わたしは、離婚のぐっちゃぐちゃで、ほんとにドロドロな状態でした。

「こんなドロドロな状態でお腹の赤ちゃん、、、どんな子になるんだろう。」

って思って、胎名を「蓮(はす)ちゃん」って名づけてました。

蓮の花は、泥の中に根っこを張って、あの目の覚めるような美しい花を咲かせるというから、ドロドロな自分だけど、赤ちゃんはそうあってほしいと思って。

 

で、ある日、夢を見ました。

とても変わった夢。

変わった、っていうのは、不思議とか奇怪とかそういうのじゃなくて、明らかに、いつも見る夢とはテイストが違ったんです。

感覚が全然違う。

内容としては、池みたいなところでボートが何艘か浮かんでいて、どのボートの人もわたしにおいでおいでと言ってくれて、なんていうかな、まったく警戒心とか不安とかがかけらもなくて、安心とうれしさしかなかった。

そして、すごく心があったかかったんです。

その、心のあったかい感じは、今までわたしが感じたことがない種類のもので。

 

だから、目覚めて、

「あ、これは蓮ちゃんが見てるんだ。(見せてくれたんだ)」

ってはっきりわかった。

 

あまりにも感じたことがない感覚だったから、3年以上経っているけど、いまもはっきりその感じを覚えてます。

「ああ、こんな感じってありうるんだなあ。こんな感覚で生きている人もいるのかな。」

って思った。

その時は、「人から好かれてたらそう感じるのかな」って。

 

 

3日前に出てきた、わたしの心の根源の望み、「心があったかい状態でいたい」っていう、そのイメージは、はっきりと、あの夢のものです。

 

昨日の夜、あの夢の感覚を、もう一回感じてみました。

 

そしたら、あったかくなった。

 

「あれ?人から好かれるとかじゃなくて、感じようと望めば感じられるんだ。」

 

 

それで、「わたし、安心したいんだな」って、ほんとに認めることができて、そしたら、なんか絵本とか読んでいても、以前ならスルーしていたことをじんわりと感じることが増えました。

 

 

その気づきから2日経った昨日、

「この望みを、認めることができなくて、必死に隠して大きく見せて暴れ散らして守ってきた自分って、ほんとに弱っちくて小さいんだなあ」

ってつくづく思った。

でも、不思議と、そこでいつもなら出てくる抵抗がなくて。

いつもなら、自動的に「小さい自分、あり得ん!ブーッ」って、NGワードを消す音みたいのが鳴ってかき消すか、自分責めになるか、「小さいのはイヤ、って思わねばならない →じゃあどうするか?」って思考になっていたんだな。

 

 

これからの人生、どうなるんでしょうねえ?

(他人事。(笑))